『同朋』11月号対談を特別公開します
さまざまに語り得る「恩」だからこそ、「なんでもあり」になってはいけない。
『同朋』11月号のご購入はこちら
川元惠史(龍谷大学非常勤講師)× 福田 琢(同朋大学学長)
「恩」の一字にはいったい、どんな内容があるのでしょうか。
今回は、いくつかの辞書における「恩」の定義を参照し、仏教学がご専門の福田さんと、
近代仏教の研究をされている川元さんに、その要点や検証すべきところを語っていただきました。
ポジティブな恩とネガティブな恩
―早速ですが、一般的な辞書として『広辞苑 第七版』(岩波書店)をご覧いただきます。恩の項目には「君主・親などの、めぐみ。いつくしみ。人から受けてありがたく思う行為」とありますね。
福田 仏教における恩には、ポジティブな意味とネガティブな意味の二つの流れがあります。たとえば、信者が仏の教えに生きる決意を表明し、出家得度する時などに読まれる偈文に「棄恩入無為 真実報恩者(恩を棄てて無為に入るは、真実、恩に報いる者なり)」という言葉があります。ここには二つ恩という字が出てきます。
前半の「棄恩入無為」は、ネガティブな意味の恩です。仏教においては、親子や家族への「恩愛」、つまり執着は断ち難い煩悩の根源で、仏道修行の妨げになるという意味でネガティブに表現されています。『広辞苑』で言われているのは、恩愛に近いかもしれません。
後半に出てくる「真実報恩者」は、ポジティブな意味の恩です。浄土真宗でも大事にされている「報恩」という言葉や、真宗門徒にとってなじみ深い親鸞の偈文「正信偈」に出てくる「唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩(唯能く常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべし)」などに言われているのは大切な恩、たとえば、仏の恩のことです。
また、浄土宗の総本山は知恩院という名前ですが、「知恩」とはインドの言葉で「為されたことを知る」といった意味です。ですから、この場合の恩は、誰かのために何かを為した、もしくは為されたという意味。仏教の基本的な考えかたに「縁起」がありますよね。すべての存在は因縁によって成り立っているという考えかたですが、そのように私たちは誰かのために何かを為して、また誰かから何かを為されているのであり、そのことをきちんと知りながら生きていくというのが「知恩」という言葉です。
仏教の歴史のうえで、恩は「四恩」という言葉でまとめられていきます。何を四と数えるかは諸説ありますが、おおよそ、一つ目と二つ目は父と母の恩、三つ目が国や君主の恩、そして最後が仏や仏法の恩です。『広辞苑』の定義について言えば、仏の恩などは特殊な用例だから割愛して、「四恩」のなかから親や君主など、わかりやすいものを選んで載せたのかなという印象です。
川元 恩の項目には、いろいろな慣用句なども書かれていますね。「恩を蒙る」というポジティブなものもあれば、「恩に着せる」というネガティブなものもあります。一般的な言葉づかいでも、文脈によって意味合いが変わってくるという、この言葉の性質がよくわかります。
福田 そうですね。仏教の恩について簡単に紹介しましたが、初期の仏典を見てみると、親子の恩が全否定されているかというと、そうとも言い切れず、親の恩と真実の恩とが混在しているように思います。
仏の恩と父母の恩の関係
―ここからは、仏教の専門的な辞書を見ていきます。まずは法藏館の『新版 仏教学辞典』です。こちらでは説明に二つ項目があり、
1 すべてのものが因縁によってなりたっているから、互いにめぐみあっており、その恩を感謝しなければならないとする。恩に世間一般のものと、さとりにみちびくものとがある。
2 恩愛というときは、衆生は父母や妻子などと互いに恩を感じあい愛に溺れて、そのためにこの世に束縛されて迷いを離れにくいのであるが、この衆生を束縛する感情をいう
と説明されています。
福田 こちらでは、「恩愛」というネガティブな恩を②で説明していますね。ただ①では、「世間一般」の恩と「さとりにみちびく」恩があると言いつつ、この後に続く文章では「四恩」を解説するなかで「父母に孝養することは仏を供養する功徳に等しいとする」と、両者をつなげるような話も出てきます。これは、子どもが親を敬い支える「孝」のような中国思想の影響だと評価する人もいますが、こうした考えかたはインドにもあると言えばある気もします。たとえば「如来蔵」という言葉がありますが、「母親の胎内にいるように、仏の慈悲に包まれている」といった比喩表現で、母親の慈愛を仏の慈悲に結びつけた表現です。
川元 お説法の場などで、阿弥陀仏のことを「親さま」と親しみを込めて呼ぶという習慣もあったりしますね。親子という想像しやすい関係性を、仏と自分との関係にオーバーラップさせて考えるというのは、布教の場面ではすごく効果的だったのでしょう。ですから時代や地域を超えて、そういう表現が活用されてきたように思います。
ただ、本当に「父母に孝養することは仏を供養する功徳に等しい」のかと問われると、さすがにそこには差があるんじゃないかと思わざるを得ません。
福田 そうですね。釈尊自身にも、親の恩を大切にする一方、真実の恩との混同は避けなくてはならないという葛藤があるように思います。釈尊を養母として育てたマハーパジャーパティーは、仏陀となった釈尊に弟子入りを志願します。彼女は、戦争で家族を失った女性たちを連れて女性の僧伽をつくりたいと願い出ますが、釈尊はこれを拒んだと言われています。釈尊ともあろう人がなぜ女性の出家を認めなかったのかとしばしば批判されるエピソードです。
釈尊にとっては、もし自分を育てた母が弟子入りしてしまうと、親への情愛、いわば恩のようなものが教団の中に入ってくることになる。そのことに、強い抵抗を感じたのでしょうか。後に仏弟子の阿難が釈尊を説得し、願いは受け入れられます。もともとは拒否していた釈尊も、実際には母に対してきめ細やかな配慮をしますし、母が亡くなった時は一人の出家者というよりは、明らかに釈迦族の息子として母をおくる手厚い葬儀をしています。母の恩を大切にしつつ、僧伽としては恩愛のような執着を離れなくてはならないという葛藤が釈尊にあったのではないかと思います。辞書の記述を見ていても、恩という言葉の複雑さを感じます。
父母、仏から「国王」にまで展開した恩
―次に見ていただく岩波書店の『岩波 仏教辞典 第三版』では、まず「中国思想における恩」が説明され、続いて「仏教における恩」を説明するという項目立てになっています。
「中国思想における恩」の項目では、「恩は本来、親の子に対する慈愛を意味したが、それはそのまま君主と臣民との関係にも拡大適用された」とあり、続いて「仏教における恩」では「社会生活の中での他者の自己に対する有益な行為」を意味するものと、「出家者の断つべき煩悩の根源」としての恩が説明され、その後「四恩」の説明があります。
福田 この辞典には、まず先に中国思想における一般的な「恩」の説明を出しておくことで、仏教の流れのどこかで中国思想が入ってきて、東アジアの仏教で言う恩の思想になっていく流れを示唆する意図があるのかなと感じます。
川元 「四恩」の説明のなかで「国王の恩」という言葉が出てきますね。『正法念処経』では、母の恩・父の恩・如来の恩・説法師の恩が「四恩」と説かれますが、「仏教が完全に王権のもとに掌握された唐代の訳」という『心地観経』で、「四恩」に「国王の恩」が加えられた、と。まさに社会情勢を反映しての変更、というところでしょうか。そして、このことは「王権の支配の強かった中国および日本において、王権と妥協しつつ仏教がひろまるのに役立った」と書かれています。なかなか示唆的です。
―川元さんは、近代仏教の研究がご専門ですが、特に第二次大戦下の日本では、戦争に協力するための仏教の了解として、いわゆる「戦時教学」が語られていきます。「国王の恩」はそのような展開とも親和性が高そうな発想ですね。
川元 そんな気はします。龍谷大学の図書館で調べていましたら、龍谷大学教授をつとめた佐々木憲徳の『恩一元論 皇道仏教の心髄』(1942年)というタイトルの本がありました。皇道とは天皇親政の道といった意味ですが、仏教と皇道を同一視した「皇道仏教」をこの本では説いていて、仏の恩と天皇の恩を同一視し、仏法と戦争を含む国策とを一体化させています。恩という言葉がこういうふうに展開する危うさを考えると、この言葉がいったい何を意味するのか、見極めが大事ですね。
佐々木の名だけをあげてしまいましたが、むしろ当時はこうした考えかたが当たり前でした。時代の風潮とは空気のようなもので、つい流されてしまうのでしょう。現代の私たちもなんらかの空気のなかにいるはずで、よほど注意しても自覚はなかなか難しいと思います。
『真宗大辞典』に引かれた島地大等の「恩」の解釈
―川元さんにお聞きしたいのが、1936年に発行された『真宗大辞典』(永田文昌堂)での「恩」の説明です。川元さんが研究している、島地大等(1875〜1927年)の著作『共に道を求めて』(1923年)の文章が1頁超にわたって引用され、それが「恩」の説明になっています。
川元 まず、項目の全体が島地の著作からの引用という、一種の「大技」に驚きました。島地は、明治に生まれて昭和に亡くなった近代の真宗者・仏教研究者です。生まれは真宗の寺院で、真宗の素養も当然ありつつ、天台思想を研究しました。彼の面白い発想や人間的な魅力は非常に興味深いものがありますが、国家や天皇に対する非常に強い愛着を持っていた人でもあります。1927年に亡くなっているため、1940年代に活動した人たちのような戦時色の強い言説は残っていませんが、もし生きていたらどうなっていたか、正直わかりません。
―恩とは古来、日本人の心を強く支配してきた言葉であり、西洋や儒教、神道にもなかなか見いだせないが、仏教こそがこの言葉に深い意味を与え、それを教えてきた―というようなことが書かれていて、理解に苦しみます。
川元 これは島地の願望に近い記述でしょう。島地には、日本への無条件の愛情、まさに恩愛に近いものがあったと思います。
福田 「このむつかしい語が東洋人、特に日本人の我等の祖先の間には何等の説明をも要せずに直感的にこの語の真意が了解せられたのである」と説明が続いていますね。ここでは恩について、仏教だけが教えてきた「東洋人」の思想だと話を広げたうえで、そのなかでも特に直感的に「恩」の真意を了解できるのが「日本人」であると、日本を特権的な立場に置いていますね。
川元 なぜ日本が特別にすぐれているのか、島地は述べていません。島地の書きぶりからすると、むしろ根拠を記すことを避けているようにも見えます。しかし、根拠がないから決定的な論破もされない。そういう言説は、戦中の真宗教団にかぎらず、今現在もさまざまなところに確認できます。また、こういう主張を受け容れる人がたくさんいる状況があってこそ、通用する話なのでしょうし、恩がわからない者は「おまえは日本人じゃない」と切り捨てられかねない、非常に排他的な考えかたでもあります。
―後の説明では、恩は「超分量的」なもので、浅深大小の区別なく、打算的な考えを超えてありがたいと思うのが恩の意識だ、と書かれています。そして、それゆえに動物や植物、自然などあらゆるところに恩があると説明されます。
川元 科学主義が広がる時代のなかで、あえて過去・現在・未来という三世の因縁などを重視したのが島地の特徴の一つです。この説明のなかで「恩の感じは頗る広い意味を持っている」と島地は記していますが、輪廻までもふくんだ本当に広大な恩を想定しているのでしょう。
こんなエピソードがあります。息子が庭に捨てた薬の瓶を見て、島地は息子を叱責したそうです。「おまえは病気が医者と薬のおかげで治ったと思っているかもしれないが、薬の瓶の恩を忘れてしまっている!」と。わかるようなわからないような話ですが、島地があらゆるところに恩を見出そうとしていることが垣間見える一例です。先ほどの日本に対する無根拠な恩愛と、こうした無条件のありがたさみたいなものが、島地のなかでは併存しつつ、しかもリンクしているようです。
本来の意味を確かめながら「恩」と向き合う
福田 あらためて思うのは、恩だからと言って、「なんでもあり」になってはいけないなということです。先ほどの『真宗大辞典』のように、恩という言葉をベースにしながら自らの視点で語ってしまうと、いろいろなかたちに展開できてしまう魔法の言葉でもあります。
また冒頭で、「棄恩入無為 真実報恩者」という偈文についてふれました。この言葉は得度の際に読まれることがありますが、僧伽の一員となる、その儀式の場で、世俗の恩と僧伽の一員にとっての恩、それらの違いについて考えていくことに重要な意味があるのでしょう。ですから仏教徒であれば、こうした偈文や、仏典に示された本来の意味や文脈を確かめながら、仏教の歴史のなかで大切にされてきた「恩」に向き合っていくのがいいと思います。
川元 浄土真宗では「恩徳讃」が親しまれていて、私も自分がお預かりする寺で「恩徳讃」を門徒さんと斉唱して、皆さんの前でお話する時間をいただくのですが、「恩徳讃」で「如来大悲の恩徳は身を粉にしても報ずべし」と言われているような「如来の恩」を実感と共にお話するのはそんな簡単なことではないと日々感じています。
それでも、今まで僧侶として、研究者として歩んでこられたのは自分の決断というよりも、周りの人の影響を受けたことが大きく作用していると感じます。私自身はそんなところから恩を考えていけるかな、と。
福田 年を重ねるにつれ、自分というのはまさしく恩によって歩ませてもらっていると、少しずつですが、私にもそんな実感があります。同朋大学に30年勤めていますが、身近な先生が亡くなったりするなかで、昔は感じていなかった先人とのつながりを意識するようになりました。齢を取って、生きている人の世界と亡くなった人の世界との境目が曖昧になってきたのか、亡くなった方々の恩が昔より素直に感じられるようになったのでしょうか。そんな恩を大切にしながら、残りの教員生活もやれることをやっていきたいと思っています。これは仏教的というよりは、世俗的な恩の話かもしれません。
川元惠史 かわもと さとし
1982年生まれ。龍谷大学大学院博士課程修了。龍谷大学非常勤講師。専門は真宗学、近代仏教。共著に嵩満也ほか編『日本仏教と西洋世界』(法藏館、2020年)、論文に「島地大等の研究」(2018年)、「木村龍寛の大乗仏教観とその背景」(2024年)など。
福田 琢 ふくだ たくみ
1963年生まれ。大谷大学大学院博士課程満期退学。同朋大学学長。専門は仏教学、インド仏教思想史。共著に青原令知編『倶舎 絶ゆることなき法の流れ』(自照社出版、2015年)など、翻訳書にショバ・ラニ・ダシュ『マハーパジャーパティー 最初の比丘尼』(法藏館、2015年)がある。『仏教ゆかりの生きもの図鑑』(東本願寺出版)が年内発行予定。