『同朋』2月号対談を特別公開します

掲載日:2024/02/29 17:51 カテゴリー:メイン

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スケートボード文化に学ぶ、路上に息づく「智慧」とは。



オリンピック競技にもなったスケートボードは、もともとストリートから生まれたカルチャーです。
ストリートスケーティング(街でスケートボードをすること)に「人生の道しるべ」を見出してきた森田貴宏さんと、
翻訳家でもあり、華厳経・近代仏教を研究している伊藤真さんの対談です。

スケートボード



「なぜ?」と問う自由を求めて

伊藤 「カウンターカルチャー」と聞いて多くの人が思い浮かべるのは、60年代や70年代の文化、反抗する若者のカルチャーという感じかなと思います。たとえば、ヒッピーとか、パンクなどの音楽がそのように言われますよね。森田さんはこの言葉にどんなイメージがありますか?
森田 社会の側から俯瞰してみると、どちらかと言えば、僕たちはカウンターカルチャーの側になるとは思うのですが、実際のところ、ずっとそのなかに身を置いているので、よくわからないんです。でも、幼い頃から社会への違和感はありますよ。たとえば、学校の算数では「1+1=2」と教わりますが、僕は「くっつけるのになぜ1にならないのか」と疑問だったんです。
そういう疑問は結構いろんな場面で感じたので、大人に質問するんですが、まともに受けとめてくれる人はとても少なかったように思います。大抵の場合「面倒な子どもだ」という扱いで、結局「お前はわからないかもしれないが、とにかくそうなっているんだ」と否定されてしまうことがしばしばでした。だから、そういう大人たちの社会に対して「なぜ?」という思いは今も強くあります。
伊藤 大人社会で常識とされていることは、子どもには疑問だらけですよね。自分は正しいと思っている大人のほうが真実を捉えられていないことだってあります。それなのに人は歳を重ねるにつれて「常識」の上にあぐらをかいて、誰かを抑圧する側にまわってしまいがちですよね。その点、森田さんのなかで「なぜ?」と問う気持ちとスケートボードはどう結びつきますか?
森田 鍵となる言葉は「自由」でしょうか。僕は小学生の頃、サッカーに夢中でしたが、中学生になってチームに入ると、練習がすごく抑圧的だったんです。スポーツはあくまでも自発的なものと思っていたので、大人から「やれ」と言われて練習するのはなじめませんでした。
そのあと僕はサッカーをやめて不良の世界に行くんですが、すると今度は「自由」かと思うじゃないですか? でも半年もしないうちに「これは自由じゃない、堕落だ」って気づくんです。ケンカなどの暴力に意義なんてないとわかったんですね。
そこから救い出してくれたのがスケートボードです。私立の中学に通っていた友人がアメリカのスケボーのビデオを観せてくれて、その映像には「カッコいいもの」が全部ありました。彼らのぶかぶかのファッション、バックで流れるパンクなどの音楽も最高でしたが、一番感動したのは、当時13歳の僕と同じくらいの少年たちがスケボーで路上を自由自在に疾走している姿です。「こんなに楽しく街を流せるのか」と気づいて、僕の世界の見え方も一変した、革命のような衝撃でした。


権威をリセットし変化すること

伊藤 今回のテーマをもらって私が考えたのは、そもそも仏教がカウンターカルチャーだったということです。
仏陀釈尊が生きた約2500年前のインドでは、婆羅門という宗教者階級に圧倒的な権威がありました。婆羅門が最も浄らかで階級を下るごとに不浄とされる、いわゆるカースト制の差別的な社会です。でも、釈尊はその現実に疑問を投げかけ、どんな人間も平等であり、修行によって覚りに到達できると主張しました。その意味では既成の概念に対抗する思想でした。
さらに、当時の婆羅門のように儀礼や発想が形式的・機械的になって固定化されると、宗教者は現実の苦しみに対応できなくなります。教義が細分化されて、さまざまな縛りも生じます。でも釈尊以降も、仏教では教えや教団がいわば体制化するたびに革新的な人々が現れて、新たな疑問を提示し、仏教全体の活気を取り戻そうとしてきたんです。
森田 僕自身、気をつけていることですが、権威の座に執着すると「変化」を恐れるようになります。僕たちは変化し続ける生きものなのに、それは自然じゃない。現在、スケボーはオリンピック競技にもなり、そういう大会で優勝するのはすごいことです。ただ、それは実力の上にいろんな偶然が重なって、その日1位になったんだとも思います。僕たちみたいなスケーターはその日が全てで、翌日には前日の成果を忘れてケロッとしてるほうがカッコいい。昔、先輩に「明日はないと考えろ」と言われたことを思い出します。
スケボーって基本的に「遊び」なんですよ。僕も15歳から23歳までたくさんの大会に出て、演技を競いました。その頃、先輩に言われたのは「大会に出場しなくても、その成績も気にしなくていい。でも会場には行け。ボードに乗らずともカッコいいやつでいろ」。つまり、会場で「あの人、誰?」って言われるような存在感のある人間になれ、と。
僕は最後に出た大会で満足のいく演技ができ、この遊びはもう十分と思って、今度はスケボーの映像を撮ることに楽しみを発見していきました。だから、あんまりみんながマジになっていると「ほどほどにね」と思うこともあります。でも、不真面目がいいのではなく、これも先輩によく言われたことですが「遊びだからあきらめるな、限界までやれ」と。
伊藤 逆説的で面白いですね。お話を聞きながら考えていたのは、「無常」という言葉です。「全ては永続せず空しい」と理解されることも多いのですが、逆に言えば「全ては変化し得る」という教えでもあります。先ほどの大会の話であれば、誰かが1位になるのは、その日の一人ひとりの選手たちのコンディション、天候やコースの状態など、さまざまな因縁によって成立します。だから、別の日であれば違う結果になるかもしれません。つまり「無常」という言葉は、私たちに無限の可能性があることも教えてくれるんです。


「危険」「迷惑」を超えるために

伊藤 森田さんは競技としてのスケートボードではなく、路上で滑ることを大事にされています。社会的に危険視されたり、迷惑行為として煙たがられる面もあると思いますが、そういうまなざしにはどう向き合っていますか?
森田 僕はかつて率先してそのスタイルを突き詰めていたので、若い世代がストリートで楽しみたい気持ちは痛いくらいわかります。たとえば、道などの手すりをボードの横のところで滑走するのは、都市という一種の「自然」を克服するような感覚とも相まって凄まじい快感です。不謹慎ではありますが、ストリートのスケーターにとって街は最高の舞台ですから。ただ、そのスタイルも変化していく必要があります。
僕が若い世代に言うのは「自分のスタイルが社会にどう受けとめられるのか、自分で考えろ」と。ストリートのスタイルは突き詰めるほど、現在の社会では悪とされる可能性が高くなります。だから、自分たちにとっては「遊び」でも迷惑行為として裁かれることだって起こり得ます。でも、同時にもうひとつ言いたいのは「ちゃんと社会に貢献する思いを持て」ということです。一人で歩くのが危ない夜道でも「あそこはスケーターがいてこわい」じゃなくて「あそこはスケーターがいるから安心」と思ってもらえたら、全然ちがいますよね。スケートボードは弱い人を守る「盾」にもなるんです。街で遊ぶからこそ、街に頭を下げることは必要なんです。


カウンターカルチャーは「楽」?

森田 「迷惑」の課題だけじゃなく、誰かを傷つけたり、抑圧するようなあり方を僕たち自身が超えていかないといけない。そのときに大切なのは変化し続けること、そして、インディペンデント、つまり独立した存在であり続けること。とにかく自分たちで立つということです。
伊藤 お話を聞いていると、カウンターカルチャーってそういうものかもなという気がします。既存の価値観を当然とせず、おかしいと思ったら行動して変化していく。反抗自体が目的なのではなく、納得する答えを自分なりに見出していくというかですね。「自分たちで立つ」、つまり独立した者として生きることは、大変だけどきっと「楽」でもあると思うんです。
おそらく釈尊は覚ったあと、苦から解放され、楽しかったんじゃないですかね? 仏教は「人生は苦である」という認識を大事にしますが、「あらゆる楽しみを断念しろ」とは説かない。食欲で言えば、過食は苦だが、「食べるな」とは説かない。相応の食こそ楽なんです。だから、森田さんが先ほど「ほどほどに」と言われたのは興味深いですね。
森田 子どもたちにスケボーを教える機会があって、その経験が僕を変えてくれました。
そのとき、まず子どもたちがスケボーでどう遊ぶか、逆に教えてもらおうと思ったんです。すると、子どもって本当に自由なんですよ。たとえば、ボードをひっくりかえしてホイールをまわし、かき氷をつくるマネをする子もいて「君にはかき氷が見えているのか?」と圧倒されたりね。
そのあと、子どもたちが遊び方を見せてくれた以上、僕の遊び方も全力で見せようと思いました。大人たちはヒヤヒヤしてましたよ。だって、僕の遊び方は大人の常識からすれば危険でしかない。実際、僕は20回以上も骨折してますしね。だからと言って、子どもたちに絶対嘘はつきたくないから、嫌われる覚悟で僕の遊び方を見せたんです。でも、子どもたちは喜んでくれた。それだけじゃなくて親たちも惚れ込んでくれて。そのときに僕は初めてスケートボードの可能性が見えました。社会的にみれば悪とされがちなスケボーが社会に貢献できるんだ、と。


「個」の奥ゆきに全宇宙がある

森田 東日本の震災以降、自分なりに救いを求めた時期があり、その頃にある仏教学者が「自分というものは両親だけではなく、お日さまの光も含めた全宇宙の因縁によって成立している。だから、個々人は微力だが、各々に偉大さを内包している」といったことを語っているのを知りました。つまり、「最小」と「最大」がつながっていると言うんですね。それがとても興味深くて、仏教への関心が一気に高まりました。
かつて観たビデオでは、アメリカの大通りを少年たちが疾走していましたが、日本にそんな場所はありません。だから、「小さく行こうぜ」と。でも、精神的な奥ゆきはどこまでも深めることができます。同様に僕たちは微力だけれど、出来ることはたくさんあると思ったんです。そんなことを考えて、般若心経をバックにした映像をつくったことがあります。
伊藤 「INTRODUCE MY SELF」(2012年制作、「自身を紹介する」の意)という作品ですね。ものすごく小さなスケートパークでワザを披露し合うスケーターたちのうしろから、激しい太鼓のビートと共に読経が聞こえてくる……。理屈ぬきの迫力がある作品で、びっくりしました。
人間という「個」が宇宙全体と関わっている―私が研究している華厳経というお経でも「一粒の原子に全宇宙が含まれている」と説かれます。たった一粒の原子、または一個の人間も全宇宙を成り立たせる一要素として存在する意義、責任や役割があり、相互に影響を与え合っているという教えです。
ただ、気をつけないといけないのは、逆に「個」も世界全体のなかで初めて成立するのですが、全体を強調しすぎると「個」が軽視されてしまうんです。全体の調和ばかりが重視され美化されてしまう。
でも、世界は細部を見れば多くの苦悩がある。一人の人間が感じる痛み、苦しみはどうなるのか、ということも仏教は課題にしています。その意味で、森田さんが小さな世界の奥ゆきをテーマにした作品を「自身を紹介する」と名づけ、「個」を打ち出されていることには非常に重要な意味があると思います。
森田 ありがとうございます。ところで、般若心経の最後は「幸あれ」という言葉で終わりますよね?
伊藤 「薩婆訶」という言葉ですね。
森田 それがすごく心に響いたんです。お経の難しい言葉が続いた最後に、ただ「幸あれ」という願いを僕たちに託してくれている。あらためて考えると、僕が未来に託したいのはその一言かな、とさえ思います。そのやさしさは僕がスケートボードから教わってきた世界とも共鳴します。カッコいいスケーターが増えたら、少しかもしれないけれど、その世界に近づける。そのためにも自分の生き方を全うしたいと思っています。



森田貴宏 もりた たかひろ
1975年東京都生まれ。13歳からスケートボードを始め、16歳でプロデビュー。95年にスケートビデオプロダクションFAR EAST SKATE NETWORK(FESN)を、97年にクロージングブランドLIBE BRAND UNIVS.を設立、各代表を務める。主な映像作品に『43-26』(00年)、『OVERGROUND BROADCASTING』(08年)、『BEYOND THE BROADCASTINGS』(21年)など。中野でクルーザー専門店FESN Laboratoryを運営。


伊藤 真 いとう まこと
1965年東京都生まれ。京都大学文学部哲学科卒業、佛教大学大学院文学研究科修士課程・博士課程(通信教育課程・仏教学専攻)修了。博士(文学)。東洋大学・大正大学など各非常勤講師、東洋大学東洋学研究所客員研究員。論文に「普賢行を可能にするもの:金子大榮における華厳の菩薩道」(『現代と親鸞』第45号)ほか、訳書にトーマス・ヘイガー『エレクトリック・シティ:フォードとエジソンが夢見たユートピア』(白水社)など。