『同朋』6月号巻頭インタビュー(大田ステファニー歓人さん)を特別公開します

掲載日:2024/05/27 10:04 カテゴリー:メイン

中指とピースで作った三角のハンドサインは、『みどりいせき』執筆の際に取材したグループ「サイバーヒッピー」のロゴをイメージしたもの

行間の調整例

小学校で野球のバッテリーだった「僕」と「春」を中心に、 ドラッグビジネスに手を染める高校生たちの青春を 独自の文体と圧倒的な熱量で描き切った小説『みどりいせき』(集英社)で、 昨年「第47回すばる文学賞」を受賞した大田ステファニー歓人さん。 授賞式のスピーチで行った詩の朗読がSNSを中心に大きな話題になり、 その人柄にも注目が集まっています。


名前を引き継いでなくさないでいられるチャンス

――「大田ステファニー歓人」というお名前はペンネームだそうですね。
大田は妻の旧姓です。出版社からペンネームを決めてほしいと言われた時、ちょうど籍入れるタイミングで。でもいざ結婚ってなって、妻の苗字は変わってなくなっちゃうんだって思ったら、お互い自立した大人同士で寄り添いたいだけだったし、家父長制へのモヤモヤみたいなのがいきなり湧き上がってきて。そんなときペンネームについて聞かれたんで「大田っしょ」みたいな。

――『みどりいせき』は、ごみ収集のお仕事と並行して執筆されたそうですね。
いまは妻の出産が近いので一緒にいる時間増やすために自分も勝手に産休に入ったんですけど、執筆当時は週6の6時~15時でやってました。体力的なつらさはあるけど、一日の半分くらいは車移動なのでスマホで原稿すすめたりして、帰ってきたらそれを清書するみたいな感じです。ただその時は受賞するなんて保証もない。だから仕事は大変というより、むしろ将来への不安みたいな執筆する上でのノイズを忘れさせてくれてました。

でも、自分のごみが誰にどう処理されるかなんて、見なくても暮らせる社会じゃないですか。だからひどい態度で接してくる住民も多いです。人間が目をそらしたい悪い部分を毎日毎日浴びて実感する。でも、小説ではそういう人間の悪い部分はいろんな人が書いてきてるし、嫌な面を見過ぎた反動で自分が人間を書くなら距離をとりたいと思いました。住民だってごみの出し方や態度がむかつくだけで、自分はその面しか知らないし、しゃべったら何か仲良くなれるかもしれない。単にマイナスな気持ちをそのまま書くっていうのは安直かなって思ったんです。

『みどりいせき』では、主人公が普段なら絶対に関わらない人間関係へ踏み込んでいく。登場人物たちの第一印象はみんなよくないんだけど、深く付き合ってみるとだんだん見えてくるような、人の別の側面を描くことを意識しました。せっかく自分が書くなら、マイナスの気持ちから出発しても、違う側面にたどり着かないとなって思います。

大田ステファニー歓人さん

それが実際の社会に生きることなのかなって

――「第47回すばる文学賞」授賞式でのスピーチは話題になりました。冒頭ではご結婚について報告されていましたが、執筆や生活の変化はありましたか。
デビュー前一作目の小説は一人暮らししてた時に書いてて、生活はただ生きるだけで手一杯でした。でも妻のかおりんと一緒に暮らし始めてから、洗濯物干したり、相合傘でコンビニまで飯買いに行ったり、皿洗ったりっていう、なにげないことで胸が満たされるっていうか。一緒に頑張って作ったごはんがあんまりおいしくなくても逆に面白くなって、あんな時間かけてつくったのにこれかよって。でも一人だったらたぶんイラついておわりなんです。

文学が人間の生を肯定する芸術だとしたら、その肯定する主体、器みたいなのが妻と一緒にいることでようやく形成された感じがします。生きててときめく量の絶対数が変わった。一人だと自分で完結しちゃうんすけど、共有する相手がいるから増幅するんです。向こうから誘われて暮らし始めたんですけど、意図せず急にときめきが倍増したって感じですかね。ラッキー。かおりんがすごい良い人でした。

執筆にもすごい影響してますね。いま書いてる新しい作品では、ダークな側面のある人間が登場して人を傷つけてるような行動をするんですが、自分で書いてても胸が痛むんですよ。でももし一人だったら、余裕で書いてたと思います。この変化は良いことか悪いことかよくわかんないんですけど。

――また授賞式では、ガザの現状と小説家としてのご自身についても語られていましたね。
 受賞が決まった当初はすごい浮かれてて。何本分もプロット作っててこれから大活躍、みたいな気持ちで構えてました。エンタメ性があって面白くてページめくるのが止まんない! みたいなものだったらいくらでも書ける自信があったんです。

でもそれって意味あんのかなって。自分含めみんなが次から次に楽しむことばっかりに目をむけてて、ややこしいことには関心を持たずに生きられる。そんな社会の仕組みに加担してみんなを気持ちよくさせるためだけのものを書くっていうのにすごい葛藤があったんです。実際、そういう社会で割食ってる人がいるわけで、そこに加担するのがやだなって思いました。

自分は世界を地続きでとらえてるんだと思います。遠くに生きてる人でも、ピタゴラスイッチ的な感じでなにかしら影響しあってる。ガザで言えば、イスラエルは建国の歴史のなかでパレスチナをどんどん占領してって今の状況になった。そしてイスラエルの一番の支援国はイギリスとアメリカで、資本主義はアメリカを中心にどんどん広がって今になっている。そのうえで自分は暮らしてます。

これまで世界で起きてることとか基本は気にしないで生きてて、いまガザのことを知った。20数年間の自分の人生で無意識にずっとふみにじりつづけてきた問題なんだなって初めて気づいてショックを受けました。日本は、悩まないで生きようと思えば、いくらでも悩まずに生きれる世界じゃないっすか。でもそういう能天気な暮らしはほかのやつにまかせたって感じで。自分は苦しんでもいいから本当の自由がほしいって思ったんです。それが実際の社会に生きることなのかなって思ったっていうか。そういう葛藤みたいなものは捨てずにずっと書いていきたいですね。


月刊誌『同朋』6月号
定価:400円(税込)
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